戦国時代の空気を感じる「武田神社」

「武田神社」は武田信玄を祀る神社

武田神社

甲斐の虎として名高い、戦国武将・武田信玄を一番身近に感じることの出来る場所、それが「武田神社」です。

ここは武田信玄をご祭神として祀(まつ)る神社。

地元の人々からは古くから「信玄さん」と呼んで心の拠り所にしています。

武田神社が建つのは、武田信虎・信玄・勝頼の武田家三代が約60年間国政を司った躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)の広大な跡地。

お濠(ほり)に囲まれた緑深い森の中心に、社殿が静かに佇んでいます。

まずは拝殿に向かい、戦国最強と呼ばれた「信玄さん」にお参りしましょう。

建立は大正時代、と比較的新しい神社ですが、どっしりとした茅葺(かやぶき)の屋根や、精巧に組み上げられた柱など堂々とした風格があります。

賽銭箱にはお馴染みの武田家の家紋である「武田菱(たけだびし)」

武田菱

見上げると入口に架けられた御簾(みす)には少しデザインの違った花菱(はなびし)の紋がありますが、これは武田家の裏紋として非公式の場で使われていたもの。

武田神社の額と花菱の御簾

本殿の両脇には鮮やかな朱塗りの大盃が置かれ、遠くからでも良く目立ちます。

近づいて覗くと、金色の筆で武田菱とともに「風林火山」「武田二十四将」の歌の歌詞が記されています。

武田神社のご利益と言えば、やはり戦国時代最強と言われた武田信玄の「勝負運」

受験などの大勝負や、人生の試練に打ち勝つことを祈願する参拝客が数多く訪れて、おみくじで運勢を占ったり、それぞれの願いを込めた絵馬を奉納していきます。

参拝者の願いを込めた絵馬

関連サイト

富士の国やまなし観光ねっと|武田神社

武田氏の繁栄を築いた「躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)」

躑躅ヶ崎館跡

「躑躅ヶ崎(つつじがさき)」と呼ばれる一帯は、かつて武田信玄の父である信虎が甲斐の国の拠点として選んだ地。

1519年8月に信虎が武田氏館の築造を手掛けてから、武田勝頼が1575年に韮崎市の新府城に移転するまでの 60年もの長い期間、武田氏の拠点となりました。

ここは甲府盆地の北側に位置し、北・東・西側の三方を険しい山に囲まれたなだらかな扇状地。

館が造られたのは山腹に近い部分で、南側からは甲府盆地を一望出来ます。

信玄は「人は石垣、人は城」との信念で、天守閣(城の中心部に設けられた大櫓(おおやぐら))のある城を持たなかった武将ですが、敵の侵入を防ぐ天然の要塞として十分に機能していたと考えられます。

史上最強と恐れられた武田軍は、この躑躅ヶ崎館から「風林火山(ふうりんかざん)」の旗を掲げて数々の戦いに出陣しました。

しかし、1582年に織田家の軍勢により館は消失。

建造物のほとんどが取り壊されて、三代に渡る武田家の夢だけが残される場所となりました。

約200m四方という広大な敷地を持つ館跡は、国内でも屈指の規模とされ、現在は国の史跡に指定。

館跡を囲む幅広いお濠

周囲は幅広い濠と土塁が囲み、ところどころ石が積み上げられた石塁も見られます。

現在、濠に水が満たされているのは南側と西側の一部のみですが、かつての外観が十分に偲ばれる光景となっています。

館跡の中心部に武田神社が造営されたのは1919年(大正8年)。

明治時代より代々の山梨県知事が何度も国に神社造営を申請してきましたが、大正天皇御即位の記念として武田信玄に従三位が贈られたことがきっかけとなって 、ようやくその願いがかなったのです。

関連サイト

甲府市観光情報|武田信虎
山梨県|県内の主な史跡|武田氏館跡
信玄公のまち|武田氏三代の拠点躑躅ヶ崎の館

「風林火山」の旗が並んだ参道から境内へ

「神橋」から見た正面入り口

武田通りからつながる、武田神社の正面入口には石垣が築かれて、お濠にかけられた「神橋」の赤い欄干(らんかん:手すりの事)とのコントラストが鮮やか。

鳥居と狛犬

石垣に挟まれた階段の上には一対の狛犬と鳥居が悠然と待ち構えています。

この入口は後年になって造営されたものですが、晴れた日には澄んだ青空が鳥居の背後に広がり、階段下から見上げると神々しい雰囲気。

思わず気持ちも引き締まり、背筋を伸ばしてしまいますね。

そんな神聖な鳥居をくぐると武田軍の掲げた「風林火山」の軍旗がずらりとならぶ参道が伸びています。

映画やテレビドラマで見たような旗印が並ぶ光景は戦国ムード満点。

参道や境内に植えられたさまざまな樹木は、神社造営の際に山梨県内の各地から寄贈されたもので、珍しい品種の木も多くあるそうです。

また、鳥居をくぐってすぐ左手に枝を伸ばす「三葉の松」は、葉が黄金色になって落葉する、全国でも珍しい松。

落ちた松葉を身に付けると、「金運」や「延命長寿」のご利益があると言われ、お守りにもなっています。

お財布の中に入れておくとお金が減らないそうですよ。

敷地内には山脈から流れる湧水も数多くあり、井戸の名残がいくつか残されています。

そのひとつ「姫の井戸」は武田信玄の娘が産湯に使ったとされる井戸。

姫の井戸

また、地中で零れ落ちる水の音を楽しむ「武田水琴窟」も面白いです。

「キーン、カーン」と楽器のように響く小さな音を、地面から突き出した竹筒に耳を傾けてそっと聞きましょう。

武田水琴窟

関連サイト

信玄公のまち|軍旗「風林火山」の戦略

「武田神社」の四季折々の風物詩

躑躅ヶ崎という地名は、山麓のツツジが咲き誇る様子から名付けられたもの。

四季折々の自然の美しさは今も変わることなく、自然豊かな武田神社は、四季折々の美しい景色が見られます。

桜吹雪が舞い散る「神橋」

夏の新緑、秋の紅葉もみごとですが、何と言っても春は甲府屈指の桜の名所。

境内やお濠には約1000本もの桜の木が植えられて、3月下旬から4月上旬にかけて競うように咲き誇ります。

赤い橋や、白い鳥居、桔梗色の旗とのコントラストが美しく、日本の春をしみじみと堪能出来ます。

毎年信玄の命日である4月12日には例大祭を開催。

信玄公の御霊を乗せたお神輿とともに、武田二十四将の騎馬武者たちが行列を組んで、武田神社から甲府城跡の舞鶴公園城までを行進します。

武田神社から甲府駅まで武田通りも、約2㎞続く桜並木の道。

満開の桜の中を進む勇壮な戦国絵巻は、ため息が出るほど凛々(りり)しくて、多くの観光客を魅了します。

命日前の金曜日から土曜日にかけては、県内各地から騎馬武者たちが集まる「信玄公祭り甲州軍団出陣」も甲府市内で開催され、1500名もの軍勢が集結する規模は国内最大級を誇ります。

また、5月には近年完成したきらびやかな能舞台「甲陽武能殿(こうようぶようでん)」 で、奉納の舞「武田の杜薪能」が上演されます。

新緑に包まれる「甲陽武能殿」

篝火(かがりび)が焚かれる幻想的な野外ステージで、繰り広げられる伝統の舞。

武田信玄も好んだと伝わる能は、新たな武田神社の風物詩となっています。

関連サイト

富士の国やまなし観光ネット|武田神社の桜
富士の国やまなし観光ネット| 信玄公祭り
甲府市観光情報|武田24将騎馬行列
甲府市観光情報|騎馬行列コース

さて、観光スポットは決まりましたか?
観光スポットが決まったら次は移動手段を決めましょう。
私がおススメするのは『貸切バス』です。
高いイメージがあるかもしれませんが、人数に合わせてバスのタイプをうまく選択すれば 安く済みますよ。

ツアーコンダクターがプライベートでも使用するバス

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